寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

情報のキャッチ&スルー

同じ電車に居合わせた若いサラリーマンの会話が聞こえてきた。「昔スマホがなかった頃、どうやって仕事をしていたのだろう」。私に聞かれたわけではないが、何か引っかかるものがあり自問自答してみた。私の若い頃を振り返ると、まだ固定電話の時代でFAXはしばらくして出てきた。電卓は存在し、私も当時電卓がなかった時代の人は大変だったろうと想像したものである。その後、時をおいてインターネットとメール、スマホSNSが登場し、便利さと情報量が飛躍的に伸びた。いつの時代も、その時々で以前の人は大変だったと思うのが常で、未来から不自由さを心配されるとは思いも寄らない。

接する情報量が増え、便利さが格段にアップしたのは事実である。さらにスピードがそれを増幅させている。環境やツールが変わり、会えなかった人と仕事をしたり、行けなかった所に足を伸ばす事が、特権階級だけでなく普通の人にも可能になった。様々なツールが生まれたことで、一気に民主化が進んだのだ。しかし、良い事だけではない。便利さの裏側で、膨大な情報処理に悲鳴をあげているのも事実だ。環境が変わっても、124時間私たちの持ち時間は変わらない。押し寄せる情報に負けまいと、せっせと処理をする時期もあったが、こなせばこなす程要件は行列で待っていた。ある時から私は情報の波に抗うのを止める事にした。周りの人には迷惑をかけていると思うが、トータルに考えるとこれが自分なりの全体最適である。多忙は無意識の内に自ら招き入れている事が多いものである。

また勝手な理屈になるが、情報は送り手と受け手の凹凸が揃って初めて役に立つ。片方だけでは不十分で、日頃から意識している事しか身につかない。言い換えれば、意識というアンテナを立てていれば、必要な情報は集まってくると信じている。それ以外は勇気を持って流す。今の時代、いい意味でスルー力が肝要だ。もう一つ重要なのはタイムマネージメントである。持ち時間は誰も同じだが、奪う人と奪われる人がいる。それを分けているのは主体性と計画性の差だ。情報は「意識」と「時間管理」次第で、アクセルにもブレーキにもなる取扱注意の代物だ。