寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

コピーできないものに価値(2018年1月)

 年末年始、お笑いや歌番組を多いに楽しんだ。暫くぶりで、知らない芸人や歌手が多い。次々と登場する知らない新しい人たちと、知っている古い人たち。私感で恐縮だが、大抵は新しい人の方がおもしろい。古い人の多くは、むかし成功した型から出ようとしない。新しい人の登場がなければ、それでもやって行けただろう。しかし幸運な時代はもう過去。常に新しい競争の中で試される。歌番組も同様に入れ替わりが激しい。今はダンスが幅を効かせ、より動画的なものが好まれている。芸人のパフォーマンスもそうだが、身体一つとアイデアで自分の世界を表現する姿は、デジタルの反動として、無意識に支持されているのかもしれない。

 毎年、新年の新聞を楽しみにしている。今年はテクノロジーの先に「人」はどうなるか。より「人」に視点が向けられた記事が多かった。良くも悪くも十把一絡げ、森しか見えなかったのが、デジタルの力で一本一本の木まで見えるようになり、個性が問われる事になった。埋没していた個性は見つけられやすくなったが、全体の傘に隠れていた没個性は、振るい落とされる危険に直面している。

 先日、障害を持つ人たちの創作活動を支援している施設「しょうぶ学園」の存在を知った。学園には、布、木、土、和紙などの工房があり、そこでの作業は純粋な創造性に満ちている。誰かに認められるためでなく、自分に正直な気持ちから生まれた作品は、結果として現代アートとして高く評価されている。どの作品も個性に溢れ、圧倒的な力で人を引きつける。例えば野間口桂介さんの刺繍作品。一枚のシャツに様々な色の糸で隙間無く盛り上がるくらいに刺繍を施した作品で、完成まで4年を費やしたという。ランダムに見えながらも一定のリズムをもつ色使いや質感。私もこの作品でこの施設に興味を持った。刺繍されたシャツは四年にわたる活動の集大成。改めて「身体の力」のすごさを感じる。AIに対する人の役割。それは自分らしくありたいという強い意思と身体活動ではないかと思う。AIは高速な大量コピーの申し子。逆にAIが不得意なのは、言葉にできないことや身体的なこと。とすると、人はコピーできないものをやるしかない。