寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

虚構の方がリアルな逆転現象

 ある若いカップルが破局を迎えた。最後にもう一度会って、これで終わりにしようと話した時は、意外にも涙が出ず、そんな自分に少し驚いた。家に帰って、スマホの連絡先や楽しかった画像を消去した時、ああ終わりなんだと、急に悲しみがこみ上げてきたという話を聞いた。やや脚色されているかもしれないが、リアルよりもバーチャルの方が現実らしく感じるという例だ。同じような現象は他でも起きている。カーナビの信頼度は、自分の経験よりも確かだと思っている人の方が多い。大切なお金についても、銀行やカード会社が正しく、私たちは検証すら諦めているのがほとんどだ。これからの時代AIやデジタル化で、仕事も生活も変わると騒いでいるが、バーチャル優先はすでに私たちの生活に、静かに静かに忍び込んでいる。
         

 デジタル化による利便性は享受し幸せになりたいが、一方で人間らしさも失いたくない。人がやってきた多くの事は機械が代行するようになり、人は人じゃないとできない事をやるようになると言われている。もちろん、そうあって欲しいと願うが、先の失恋の話を振り返ると、人に優しく寄り添ってくれるのは、案外機械なのかもしれない。自分に都合よく居心地がいいことを、人は人らしいと錯覚しがちである。現実の人は、そう都合よくないし、時には残酷でもある。これからのデジタルはもっとリアルに溶け込み、差は限りなく無くなる。機械と人は共存できるか、どちらが人らしいかと、意識することもなくなるだろう。


 少し話はずれるが、同じような事で気になることがある。映画やドラマで本当に大切なことを伝えようとすると、異次元なシーンを設定することが多いように思う。当たり前の話なのに、リアルな世界では伝えきれず、逆にリアリティに欠けてしまう。伝えたい時は、宇宙人や、昔の人や、マイノリティや、動物などを登場させ、日常から離すことで話を成立させている。リアルを伝えたい時は異次元で。ここにも逆転現象が起きている。スポーツはゲームと呼ばれるように、最も現実に近い非日常と言える。日常からの適度な距離があるから、たくさんの感動やメッセージを残してくれるのかもしれない。