寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

古い殻を脱皮するスポーツ(2015年8月)

 先日の724日、ぼんやり朝刊をめくっていたが、いつもより多い広告に「えっ」とめくり返すことに。それらは東京2020オリンピック・パラリンピックのパートナー企業のものであった。読み進めると5年後の724日が開幕日であった。新国立競技場の白紙撤回や、高騰する費用に水を差された格好になっているが、開幕まで5年。確実に時は過ぎている。当日大会組織委員会はシンボルとなる大会エンブレムを発表し、夕刻には多くのニュースに取り上げられた。ちぐはぐさは拭えないが、これを機にもういちど誘致決定の時の高揚感と期待を具体的な形にすべく、また新しい形の五輪を世界に示すべく、着実に進めて欲しいと願う。

 世の中では、国益、人口、環境、世代、男女、富と貧困、教育、都市と地方など、国内外を問わず様々な格差や問題が噴出している。救われるのは、若い人たちがこれらの課題を自分事と捉え、オープンな人脈とITや柔らか頭で何とかしようとしていることである。こうした中でスポーツができることも多くあると思う。世界のトップ選手が技術やタイムを競う、筋書きのないドラマを見るのは楽しい。刺激を受け自らも何かに挑戦する、そしてできた時の喜び。それを友人や仲間と分かち合う楽しみ。私は「いどむ、できる、つながる」がスポーツが持つ力であると感じている。またスポーツに現れる個性は、国や民族の文化につながると言われる。日本で言えば「チーム力と献身性」、これはスポーツに限らず日本のアイデンティティに繋がる。また東京大会ではパラリンピックも注目されるはずである。「ハンディでなく違い、違いは個性」多様性を認め合うことは、精神も含めバリアフリーな社会を築くことでもある。

 以前、ファッションがその真の意味から、繊維だけでなく住宅や車、家電などあらゆる産業に広がっていったように、今スポーツの持つ力が広く認識され、あらゆる産業にとり入れられる時代を迎えていると思う。東京五輪はスポーツが社会インフラや文化になる起爆剤である。ここで行われた活動や考えが雛形になり、それが地方に行き渡り、さらに世界に拡散していくだろう。そのスポーツを生業にしてきた我々は、次に何ができるかを問われている。