寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

ビッグデータがもたらすこと(2012年10月)

 近頃「ビッグデータ」という言葉を良く耳にする。スマホSNS、店頭や街頭など至る所から大量のデータを取得でき、その処理能力も高まったことから、かって夢物語だったことが可能になっている。代表例として思い浮かぶのは、アマゾンのレコメンデーションだ。多くの人の購入や閲覧データを分析し、この商品に興味をもったなら、こちらもどうですかと勧めてくれる。余計なお節介と思っていたが役立つことも多い。最近はファストフードなどリアル店舗でも、興味を持ちそうな商品の案内や、近くに来たらお立寄をと連絡が来る。親しい人からのような連絡が、コンピュータを介しオートメーションで来る。確かに便利な面はあるが、一方で行動が監視されている怖さも感じる。またこうしたことが進むと、それぞれに合った対応ができる反面、自らの意思とは別に世間の潮流に流され、一律化してしまう味気なさもある。

 おぼろげながらビッグデータにはこうしたイメージがあり、違和感を持っていた。が、そのイメージをくつがえすきっかけがあった。翻訳の話であった。グローバル化から社内公用語を英語にする企業が増え、語学は大きな関心事になっている。一方、スマホを通して会話することで、サーバーで翻訳され、お互いに母国語で会話できる技術の実用化が目の前に来ている。日本語は同じ発音でも意味が違うことが多く、どんな方法で実現するのか興味を持っていた。その解決方法の一つとしてビッグデータが活用されていた。過去の文書を大量に集積し、そのデータと翻訳したいものを重ね、最も近いものを瞬時に選び、返すという。ひとつひとつの言葉を追いながら、その意味や前後関係から翻訳するイメージであったが、こんな方法があるとは意外であった。大量のデータを集め、それを重ねることで違いや共通項を導きだす。ビッグデータは、遺伝子と病気の関係や、車と交通渋滞、都市のインフラ運用など様々な分野に応用されている。一人一人に便利な買い物や生活だけでなく、人類の長年の夢を実現する力を秘めている。スポーツで言えば良いか悪いか別にして、運動選手の適正や可能性までわかるかもしれない。改めて人の力の凄さを感じると共に、それ以上に倫理観の必要性を感じる。