寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

便利の先が、善とは限らない。

 

 先日運転中に、ETCが電波を受信できなくなり、久々に一般ゲートを利用した。その時は乗り継ぎが必要で、支払いの度に手間がかかるのを大変面倒に感じた。少し前にも、こんな事があった。出張中に交通系カードを破損し、切符を買う事になった。同僚と一緒に複数の先を訪問する日で、何度も待ってもらうのは気が引け、新しいカードを買ってしのいだ。人は便利さに慣れる名人で、一度便利さを知ると後戻りできない。そんな事を痛感した次第である。

 便利さを享受する裏側で、私の行動はデータとして蓄積されている。スマホの位置情報、サイトの閲覧記録、カードやポイントの利用情報を重ねれば、私の行動は裸同然だ。その行動から、性格や嗜好も色分けできる。さらにAIスピーカーや、あらゆる所に設置されたカメラは、私達にさらなる便利さを提供してくれ、その見返りに私をトレースしていく。私より私を知る、変な現実が生まれているのだ。GDPRなど個人情報の取り扱いを厳格にしようという動きも高まっている。またプラットフォーム側でも、広告事業でないアップルや、個人情報の流出問題を抱えるフェイスブックは、こうした規制に積極的な支持を表明している。

 一方中国は、経済成長や便利さを優先し、世界最先端を走っている。特に進んでいるのがキャッシュレス経済。物乞いですらキャッシュレスだと伝え聞く。驚くのは、この裏で進む信用格付けだ。行動履歴や支払い状況から、その人の信用度を数値化し格付けする。それにより金利が変わったり、住める場所が決まり、各種手続きの手間も変わる。サービス提供者も利用者から逆評価され、サービス側の格付けも進む。今中国では、支払はもちろん、ゴミを捨てない、人に親切にするなど、善行を増やし信用のアップに努める人が増えているという。結果、サービスの質が高まり、街がきれいになり、落し物だって届く国に様変わりしているらしい。

 信心深い欧米では「神様が見ている」。周りが気になる日本では「世間さま」が見ている。利害優先の中国では「AI」が見ている。動機に違いはあれ、何を大切にすべきか真剣に考える時期にきている。確かなのは、幸せは便利さの先にあるのではなさそうである。

もう他人事ではないオープン施策

 トヨタの動きが激しい。100年に一度の業界再編という事で、豊田社長が陣頭に立ち改革を進めている。直近ではスズキとの資本提携、その前にはマツダ、スバルとの提携を相次ぎ進めてきた。驚いたのは、少し前になるが二つのニュース。一つはソフトバンクグループとの提携。豊田社長と孫社長が並んでいる姿は新鮮であった。「次の手を打とうとすると、いつもそこに孫さんがいた」という豊田社長のコメントが全てを象徴していた。もう一つは、トヨタがハイブリッドや電動化の特許2万数千件を無償公開したニュース。トヨタは直近的な利益より、技術を公開する事で世界標準になる道を選んだ。囲い込むより開放する方が、成果が大きいと考えたのだ。

 この考えは様々な所で広がりつつある。同じ自動車メーカーでは、ボルボがこれまで蓄積してきた事故データを公開。ボルボは、過去にも3点止めのシートベルトの特許を公開し、「安全のボルボ」をブランディングしてきた経緯がある。身近な所では、熊本県の「くまモン」は代表的な成功事例だろう。古くは小泉純一郎首相時代の「チームマイナス6%」キャンペーンもそうだ。一定の基準を満たせば、誰でも自由に参加できた。これにより一気に認知が進み、「クールビズ」や「ウォームビズ」は当たり前になった。

 この流れはスポーツでも起きている。Jリーグは令和元年を迎え、打ち出した施策がある。Jリーグはスタート時から「100年構想」を掲げ、サッカーだけでなく地域とスポーツの関係を築いてきた。平成510チームでスタート。今年は38都道府県55チームに拡大。平成と共に地域に根ざすリーグに成長した。令和を100年構想の第二期と位置づけ、さらなる地域との繋がりを探っている。選手やファンだけでなく、範囲は高齢化や健康、子供の教育など多岐にわたる。その実現のため、Jリーグを使って欲しい。Jリーグが地域に何ができるかから、地域がJリーグを使って何ができるか。主語を変えた取り組みを期待しているという。この考えは、先の事例の延長にある。我々が思う以上にスポーツの影響力は大きい。社会の課題解決に、届けたいサービスやメッセージをスポーツに乗せるのはどうだろう。

黒か白でなく、黒も白も

   有名大学を卒業しても、官僚や大企業の道を歩まない人が増えている。昔ながらのエリート道を選ぶ人も、起業するための経験を磨くためと割り切り、期間限定で働く人が多い。大学時代から起業する人も増えている。共通するのは、自分の力で、社会の何かを変えたい。という気持ちだ。大企業に入れば、企業の力を背景に、自分だけでは出来ない事に挑戦できる。ただそのチャンスに恵まれるまでの時間や、配属は保証されない。というわけで、まずは即戦力として多くの経験が積める企業を選ぶ傾向にある。仕事の選び方も、高い報酬は望みの一つだが、裁量権の大きさや、社会に軌跡を残したいなどが主な理由で、私達の時代とは違っている。

  同じ年代でも、また違った方向を目指す人達もいる。こちらは身の丈に合った規模で、自分の好きなやり方で何かの役に立ちたい。そうした同じ価値観を持つ人達が補完し合いながら、小さなコミュニティーを形づくっている。発酵食品の研究家、出前の料理人、陶芸家、家具職人、パティシエ、農園家、地ビール職人など。ソーシャルメディアがそんな繋がりを可能にしている。彼ら彼女らを見ていると、裕福ではないが、それぞれ好きなことを仕事にして楽しそうである。また共通して時間やお金の使い方が上手なのだ。

  こんな事を思い浮かべたのは、セブンイレブンの沖縄進出のニュースであった。沖縄にはコンビニという業態ができる前から、「共同売店」という似た店舗があった。地域や集落の住民が出資して運営する店で100年以上の歴史がある。食料品や日用雑貨を扱い、利益が上がると出資者への配当や、地域行事の寄付になったりする。互助の上に成り立ち、医療費や奨学金の貸与なども行う。住民は、時には店のオーナーであり、時にはお客になる。この関係が面白く、次の社会を暗示している様に感じる。

  データによる徹底した効率化で利便性を提供するコンビニ、顔の見える関係で価値を共有する共同売店。この二つの共存は、先述した若い人達の仕事の考え方とも相似している。これからは黒か白でなく、黒も白も。複数が共存する時代になる。過去や常識に決別すれば、誰にもふさわしいポジションがあるはずである。

見える論理と、見えない感性

 長く企画の仕事をしていて感じる事がある。常に心がけているのは、オリエン(企画前の方向付け)の重要性だ。まずは依頼者の意図と課題を聞き、その場で企画の落としどころを見つける。逆に言えば、見つけられるまで粘る。この段階でポイントを絞り込めると、うまく行く事が多い。ここでポイントを絞り込めないと、あれこれ悩み、生産性のない時間を費やす事になる。結果、肝心の企画に十分な時間をかけられず、良質な物を作れない。またコストや納期もかかるという悪循環に陥る。もう一つ、限られた情報でもその段階で、仮案を常に考える様にしている。その上で、この後与えられる時間の中で別案を考える。イメージとしては左手に案を持ちながら、右手で新しい案を考え、いい方を残していく。それを時間ギリギリまで何度でも粘る。こんな作業を自分の中で繰り返している。

 どんな仕事も一人でなくチームでやる。チームで仕事をする際は、目標を決め、役割と計画を決め、進めるのが普通だ。途中でやる事が変わるのは周りの人たちに迷惑な話である。厄介なのは、私にとっては連続した中で自然な変化なのだが、周りは違う。それでも許容してくれているのは有難い限りである。決めた通りに進めて良いものができればいいが、そう簡単ではない。企画書の段階で面白いと思うものは、そのまま作ると大抵面白くない。やってみないとわからない企画の方が良い結果になる事が多い。理想としては、企画の方向や、予算、納期は決め、後は現場に任す。裁量権を与え、現場で速く修正するしかないのだ。

 常々「シンプルが一番」といいながら、長々と書いているのは、こうした事は言語化が難しく共有しづらいから。一方、目標を決め、課題を洗い出し、対策をたて、実行する論理的なやり方は、言語化でき、数値で見える良さがある。組織的で再現もしやすい。論理的なやり方の有効性に異論はないが、突き詰めるとどこも同じ所に向かうはずである。理想的には、トンネルを両方から掘り進める様に、論理と感性を両方から進め、独自の一本に繋がる。答えのない不透明な時代に、論理と感性のバランス、これをどう実現するかがこれまで以上に重要になっている。

覆水盆に返らずと言うけれど

  展示会が続き、お店やメーカーの方と話す機会が多くあった。元気な企業は共通して新しい事に挑戦する気風が強い。突然の環境変化や不透明さはあっても「条件はみんな同じ」と受け止め、次の事、自分たちができる事を着々と進めている。そんな話は聞いていて楽しいし、とても刺激になる。

  ちょうど参院選の告知があり、年金問題が争点になっている(原稿が出る頃には過去形になっているかも)。他にも米中の関税問題、身近な所ではグローバルブランドの政策変更などもある。これまでの蓄積や努力と関係ない所で起きる変化だ。年金問題では前後の脈絡が端折られ、老後2000万円が必要という試算がクローズアップされた。冷静に考えれば試算は、おかしいものではない。気付いていながら直視するのが怖く、先送りしていただけだ。今の年金だと毎月5万円が不足、長寿化した余命を掛けると2000万の蓄えが必要と具体的に示され、さあ大変という事になった。人が一生に必要な額の試算もある。様々な人がおり一律にはいかないが、一人暮らしで1.9億円、妻と子供の3人家族で3.6億円、同じように収入を試算すると2.1億円。共働きでやっと計算が合うという感じである。対象になる時間が長いこと、金額が大きいことから縁遠く感じるが、こちらの方が多くの人にとって切実かもしれない。長い人生何があるかわからないし、考えれば考えるほど気が遠くなる。

  横道にそれたが、私が言いたいのは次の事。問題に直面した時、人は大きく二つに分かれる。現実や起きる未来を受け入れ、今の自分は何をできるか考える人。ムードに乗って誰かの解決策を待つ人。資産形成に目覚めNISAに取り組む。工場の一部を中国から他国に移す。輸出先を変える。自社サイトを強化する。商材を切り替える等。一つ一つは小さな策で、元の姿に戻す力はないが、やれる事をやる。半年1年が経つと、その積み重ねが大きな差になるはずである。覆水は盆に返らないが、できる事は必ずある。非常におぞましいがこんな比喩がある。森で移動中のグループが虎と遭遇した。その時、虎から逃げるために必要なのは、虎より速く走ることではない。周りより速く走ること。意味深である。

水は低きに、情報は興味に流れる

  休日の、いつもより遅めの時間帯に、新幹線に乗る機会があった。いつもと同じ新幹線なのに、車内の空気がまったく違っている。平日は、キーボードを叩く音や、資料をめくる紙音くらいしかないのだが、あちこちから会話する声が聞こえてくる。子どもの声も交じり、どことなく楽しそうである。そんなゆるい気配に感化され、手許にあったスマホをしまって、ぼんやり車窓を眺めていた。そこには、水をはり、田植えの準備をするのどかな光景があった。水をはった水田が鏡面のように光る風景は、私の車窓の楽しみの一つで、今年もそういう季節になったんだと感じていた。

  近江の田園風景を楽しんでいたのだが、野洲川を超えたあたりから、水面に混じって茶色の面が目立ってきた。はじめは休耕地の草が枯れているのかと思ったが、今は新緑の季節。そんなはずはない。何だろう、思い当たったのが麦畑。麦は輸入が大半で、日本での生産はほとんどなくなったと思っていたので、身近な所でこれだけの麦畑を見るのは新鮮であった。もっとびっくりなのは、これだけ新幹線に乗りながら、私が気づいていなかったことである。桜や新雪の季節は、車窓に目が行く事もあるが、大抵はスマホや資料に目を向けている。見えていても見ていない。興味あることだけを見ている。

  同じ目標を持つ会社でさえ、話したことが伝わるのはひいき目に見て2-3割。しかも聞いている人も、都合よく自分の聴きたいように解釈していることが多い。文脈を端折り、刺激的な言葉をニュースにされるのは政治家だけではない。改めて情報は、見聞きする人の期待と度量に左右されることを感じると共に、自分は本当に時間を有効に使っているのか疑わしくなった。

  ちなみに滋賀の麦を調べてみると、「麦秋」という言葉に出会った。字面から秋を連想するが、麦秋は初夏の季語。米にならい、刈取り時期を示す言葉として秋が使われている。また麦の生産量を調べると、北海道が圧倒的一位で、佐賀、福岡に続いて滋賀県は全国4位。近くにはキリンのビール工場があり、地元の麦を使った「滋賀づくり」が発売されている。興味があることに情報が向かうのは、ここでも証明されることになった。

プロジェクトに呼ばれるために

 人生100年時代と言われ、少なくとも80年以上を生きる時代になった。少し前、父親たちの世代は55歳が定年で、10年ほど余生を過ごし人生を終えるのが普通であった。70歳以上だと長生きで良かったですねと、声をかけていた様に思う。今は60歳定年が多いが、年金支給は65歳から。年々、給付時期が遅くなり約束が違うと言いたいが、平均寿命を考えると解らなくもない。退職後10年が余生という暗黙の設計から逆算すると、最低70歳まで働く必要がある。漫画「サザエさん」に登場する磯野波平さんは永遠の54歳。失礼な言い方になるが、ハゲ頭で丸メガネ、家ではいつも着物姿。今の時代こんな54歳はいない。どうみても70歳以上だ。何事においても、今と比べ10歳以上の差がある。

 これからの人達は、約50年にわたり働く事になる。日本企業の平均寿命は25年。個人の時間の方がはるかに長いのだ。こうなると、最初入った会社で最後まで勤め上げる終身雇用は、もはや成り立たない。それぞれが段階的に仕事や会社を変える様になるはずである。働き方改革の取り組みも加わり、企業も個人も大きな意識改革が求められている。またスピードが早く、事業に必要な能力も多様で、全てを一つの会社で行うことは難しい。これからはプロジェクト型で、複数の企業や多彩な専門家が集まり事業を進める事になる。個人も複業という形で、複数の顔を持ち経験を磨いていく。こんな世の中で存在を示すには、今まで以上に強い専門分野をもつ(可能なら2つ以上あるのが望ましい)。自分のやりたいテーマを明確にする。これが大切だと思う。しかも苦労して身につけた能力も、その賞味期限は思った以上に短い。安住を許してくれない。学び、変わり続けるしかないのだ。

   協業やオープンイノベーションを進めるには、時代の変化に対応するだけでなく、自分は何者か深く意識しておく必要がある。外の世界と同時に、内の世界(自分自身)にも目を向ける。グローバルを意識すればする程、アイデンティティが重要になるのと同じだ。桁違いの情報に飲み込まれないためには、ブレない軸が必要で、童話の「青い鳥」ではないが、それはいつも自分の中にある。