寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

自然である事、シンプルである事(2017年8月)

 通勤途中にあるテニスコートからコーチの声が飛び込んできた。「無駄な動きが多い。無駄をなくすことを意識して」。声しか聞こえなかったが、未来の錦織選手を目指す子ども達の練習風景が思い浮かんだ。状況を素早く把み、早く打点に入って、正確に打ち返す。この一連の流れに無駄がないのがいいプレーということだろう。余計な動きは力をロスしたりミスに繋がる。仕事で「同じ結果なら、できるだけ少ない要素(工程)で」と話していたタイミングに重なり、耳に止まった。生産や物流で特に感じるが、大切なのは意識せずに普通に流れる状態を作ることだと思う。この状態が、品質も納期も安定し、コストも安く抑えられる。逆にイレギュラーが加わった時にミスを招きやすい。通常より納期を早くしたい、今回だけはコストを安く、といったバイアスが加わった時が危ない。より強いボールを返そうとか、より端にといった雑念が、無駄な動きになりミスを招く。私の下手なゴルフも含め、何でも同じだなと勝手に納得していた。それにしても意識していることは耳に入りやすい。逆に意識のないものは、気持ちよく通り過ぎると言う事だろう。

 普通に流れているのがいい状態と書いたが、茶道や日本の伝統芸能の所作はどれも無駄がなく美しい。長い歴史の中で洗練され究極の型として確立されている。無駄のない美しい所作は多くのj訓練と経験に裏付けられているのだが、それを感じさせず自然に見える所が凄い。自然な状態は簡単そうに見えて実は最も難しい。同時に「シンプルとは何か」もよく考える。「シンプルに考える」と言われるが、「シンプルになるまで考える」の方が私は腑に落ちる。シンプルに考えるは、部分を端折るイメージがある。シンプルになるまで考えるは、複数の要素を抽出し、それを3つに集約し、さらに1つに収斂させる一連の作業と言える。簡単に答えの出ない苦しい作業だが、解けた時の快感は格別で、この達成感があるから止められない。複雑で整理されていない間は、自分自身も理解できていると言えないし、それを次の人、またその次の人に理解・共感してもらうことは難しい。シンプルになるまで考え、自然な状態(無心)になるまで粘る事が大切だ。