寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

与えられた道はつまらない(2017年1月)

 機中で何本かの映画を見た。映画リストを見ていて気づいたのだが、日本公開の予定有り無しのアイコンがつけられていた。意識して見直すと公開予定の作品は意外と少ない。前作がヒットしたシリーズ物や、超有名俳優の作品、アニメなど確実に収入が見込まれるものに絞り込まれている。近頃のハリウッド映画は興行中心、作品性は後回しという印象を持っていた。興行収入のためには事前調査から、派手な演出を加えストーリーさえも変えてしまう。こんな印象を持っていたからだ。考えて見れば全てのハリウッド映画が日本に入っている訳ではない。配給会社が選別している事を忘れていた。ついつい私たちは、目の前にあるものを全てと考えがちであるが、大抵のものは編集された世界である。新聞もテレビも、お店の品揃えもそうだ。

 昨年末、まとめサイトの公開中止問題が起きた。世の中で起きている多くのニュースから、テーマやターゲットに合わせ編集してくれるサービスで、急速に力を伸ばしていた。自ら取材をせず他メディアのニュースを紹介する手法と、情報の正確性が問われた。広告を最大化するため、面白おかしくみんなが興味をもちそうなものに偏重していった事も問題であった。これは新興のサービスだけの話ではない。程度の差はあるが、テレビや新聞といった既存メディアでも同じことが言える。限られた時間、限られた紙面にニュースを掲載するということは、数多くの中からニュースを編集している。何かを拾い、何かを捨てているのだ。ニュースは事実を伝える事であるが、ニュースを選ぶ時点でメディアの考えに影響される。ニュースの精度も色々である。取材に時間と人をかけ本当に価値あるものもあれば、いくつかのヒアリングで詳しくない記者がまとめているものもある。

 今後情報量は飛躍的に増加する。その洪水のような情報に溺れることなく、必要な情報を取捨選別するのは私たち自身である。情報は清濁混ざっていることを知り鵜呑みする事なく、自らの意思で編集する力が必須になる。自分の軸を持ち量をこなす。そうすると少ない情報でも、勘どころを的確に掴めるようになるはずである。少ない選択肢に囲われ、同じものに群がるのは不幸である。