寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

人間万事塞翁が馬(2014年12月)

 毎日の通勤に使う電車が、最近めでたく全線高架に変わった。数年をかけて順次高架工事を進めていたのだが、最後の区間で巨大な工場が私の目の前に突如として現れた。眠気まなこで通う朝、見たことのない風景に「えっ今どこっ」と目が覚めたほどである。30年以上も同じ電車で通っていながら、地べたを走っていた時は、不覚にも気付いていなかった。視点が上がったことで、見下ろす形になり、そこに巨大な工場があることがわかった。普段見ていた景色の中に、確かに赤茶色の長い壁の印象はあった。後でそれが工場の一部だったと納得はしたが、突然の工場出現を認めるまでには、少し時間を要した。無意識は、30年以上もの間、私の中から工場の存在を消していた。直接関わりのないことなので大きな影響はないが、身近な所でも同様の事が起きているのではと心配すると共に、無意識の怖さや、視点を高くする意味を改めて感じた。

 また、何らかの企画を考えている途中で店舗を訪問すると、気づかなかったものが次から次へと見えてくる。これまでも同じように見ているはずであるが、課題を持ち集中して見るのと、何気なく見ているのではまったく風景が違う。同じ「見る」でも、「観る」と「眺める」くらいの差がある。意識の持ちかたで、見える範囲も深さも大きく違うのだ。

 わかっているつもりではいるが、人は常に見たいものを見たいように見ている。誰もが悪意なく無意識に自らに都合のいい編集を行っているのである。そうして迷惑なことではあるが、自分の世界で見たものを周りの人に自信満々で伝える。しかもつたない力で伝えるので、大抵は1/3くらいを伝えるのが関の山である。聞く人は聞く人で、自分の聞きたいように聞くのだから、伝わらないのが当たり前である。一度でうまく伝わったとしたら、よほど幸運で相性が良かったというしかない。

 天邪鬼かもしれないが、こうして同じことが同じように伝わらないから面白いと思う気持ちもある。新しい発見や発明は、偶然や間違いから生まれることが多い。生物が生き延びるための突然変異も、遺伝子が並びを間違う事から生まれるとも言われる。人間万事塞翁が馬。何事も全てにおいて意味があるということにしておこう。