寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

みんな同じは気持ち悪い(2014年11月)

 様々なものがネットにつながり、膨大なデータが集まるようになった。またそれを処理する能力も飛躍的に進化した。このビッグデータは第二の資源とも呼ばれる。石油が私達の生活を変えたように、ビッグデータはそれ以上の変化をもたらすと期待される。データが新たな製品やサービスの原材料になり新ビジネスを生み出す。すでに電力消費、交通渋滞、天気予報などで活用されている。身近な所ではネットで買い物をすると自分の興味ある商品を先回りして表示してくれたり、閲覧サイトに興味ある分野の広告が集中して表示される。どうしてこの企業がこんなに多くの広告を出せるのかと思ってしまう事があるが、それはテレビ的考え。ネットでは過去の閲覧履歴や他のデータを元に、それぞれの人に合わせたものが表示される。自分が見ているものと回りの人が見ているものは違うはずである。本来この仕組みは多様性に応えるものであるが、現実は逆の集約化に向かっていると思う。

 ハリウッドに代表される映画は、最近は似たものが多くなっている気がする。映画を興行的に成功させるため、ファンの声を集めたり過去のデータをベースに映画づくりをしていると聞く。エンターテイメントなので、みんなの気分を良くしたり元気づけるのは大切だ。しかし見たくないものを含め問題提起するのも映画の役目であるはずである。人気投票でみんなが喜びそうなものに傾倒していくやり方はどうだろう。

 またソーシャルメディアについても同様のことを感じる。ラインやフェースブックなどは、これまで出会えなかった人と出会ったり、連絡が途絶えていた旧知の人と再びつながる事ができるツールで、自由闊達に交流できるのが魅力であったはずである。ところが現状は回りの雰囲気を乱さない良い人が集まる場になったように見える。技術の進歩により、多様性を認め合い共存できる社会になって欲しいと願うが、大切なのはそれを運用する私たち自身である。技術はその増幅装置で、どちらにも拡張してくれるはずである。先の映画や身近なSNSの中で起こる「考えない同質化」に居心地の悪さと危さを感じるのは私だけではないだろう。人の視点でなく自らの視点で行動したいものである。