寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

感動は主と客の共同作業(2014年5月)

 JAPANIES ONLY”という垂れ幕を放置した責任を問われ、Jリーグ史上初の無観客試合を行うことになった浦和レッズ。人種差別のコメントを擁護する意識など全くなかったと思う。差別に対する認識のなさが、責任問題になった。この意味は大きい。意思を表示した責任でなく、意思を表示しなかったことが悪い意思表示になり、その責任を問われた訳である。直接影響のないことは判断をあいまいにし、先送りする質がある日本的資質や自分自身を省みる機会になった。また現場には多くの警備員がいたはずである。警備員の仕事がしっかり定義され、教育されていれば簡単に防げたかもしれない。また同席していた多数のサポーターが成熟していれば、下品な垂れ幕を降ろすようアドバイスしたはずである。残念ながら、いくつかあるはずの関門がすべてスルーされてしまった。Jリーグができて早20年、欧米並みのサッカー文化が育ってきた様に思っていたが道半ば。こうしたことも含めまだまだ成熟させる余地があるようだ。

 もう一つ今回の件で感じた事がある。多くの人は、観客が全くいなく、音のないスタジアムで行われるゲームの異質さ、ある種の気味悪さを感じたと思う。ゲームを作っているのは選手だけではない。ゲームの熱狂は、選手と観客、さらに運営する人たちや関係者が一体となった共同作品であることを痛感した次第である。またサポーターは選手を育てている事を改めて見直す機会にもなった。見られることで人は輝き成長する。私達も同様である。みんな見られ、褒めてもらいたいのである。

 同じ時期に茶道で面白い話を聞いた。茶道は、もてなす主と招かれた客の共同作業である。主は、客をもてなすため様々な仕掛けを周到に準備し、全身全霊でその時に備える。一方、招かれる客も主の心使いを感じ取る技量が問われる。静かなる時間の中で、お互いの力を推し量りながらもリスペクトする振る舞いが、一期一会の空間を作り出すという話であった。共通するのは、一人では何事も成立しない。感動を呼ぶような事は、心や技量を磨いてきた人たちの出会いから生まれるということだ。共感の時代といわれるが、はるか昔からそうだったのだと思う。