寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

無用の用、緩さを考える(2013年8月)

 小学生の頃だったと思うが「無用の用」ということわざを学んだ。ご承知の通り、一見必要ないと思うものでも間接的に役にたっている、この世に無用なものはないという意味だ。その時の先生が話してくれた例えが印象的で、こうして長く頭に残っている。平均台くらいの幅の道を歩くとする。平均台が地面と同じ高さなら、細い道でも安心して歩けるのに、平均台が高くなり地面から離れると、同じ幅の道でも歩けなくなる。踏み外して谷底におちてしまう。そんな話だった。帰り道、道路の細い線を見つけて歩いた記憶もある。これがきっかけで、用よりも無用に目がいく偏固な性格形成にもつながったが、ものごとを俯瞰的にみたり、その周辺や逆を見るいい習慣が身についたと感謝している。

 こんな事を思い出したのは、個人も会社も数値や効率に偏りすぎ、結果こじんまりしていっているように感じるからである。例えば情報、その整理には分類が使われる。もれなくだぶりなく全体を掴むために必要不可欠である。また次の行動を決めるため、その推移を見るのは役立つ。ただし、見えているのは過去。これまではそうであったということである。過去の枠組みの中での改善はできるが、人々の嗜好や世の中の変化が激しい中にあって、それだけで対応できるかとなると、はなはだ疑問である。今、世の中でヒットしているものは、この枠に当てはまらないものが多い。消費者の意見を聞くのは、既存枠内での改善。消費者の潜在ニーズを見つけるのは、枠外ということになる。分類でいうと、最も大きなウェイトを占めるカテゴリーでなく、「その他」などまだ枠ができていない所に、イノベーションのヒントがある。この兆しを掴み、挑戦することが大切なはずである。自省も込めてだが、数値や効率に追われることを理由に、小さな兆しに目をそむけ、ひどい時はその芽を摘んでいる可能性すらある。脱皮するには、機械でできる仕事と人がやるべき仕事を区分けし、既存の枠内のことは機械化し、人は枠外のことをやる。効率化はそのためのものであると考えたい。こうして片方で数値や効率を担保することで、もう片方では無用に目を向ける「緩さ」を許容できる懐の深さが欲しいものである。