寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

経済的なもの以外の何か(2013年2月)

 大阪市の地下鉄天王寺駅のトイレが、自動水洗やパウダーコーナーなどを備えた多機能トイレに生まれ変わり快適になったと、市の交通局が広告をしていた。広告のビジュアルは、おなじみの男女のトイレサインだが、お辞儀をしているように見えるものにアレンジされていた。ぜひお立寄をという気持ちを込めたのだろう。また冬の通勤電車は、時間どうりでも寒い中お待たせしましたと社内アナウンスする。駅の構内では電車が来ます、黄色い線の内側にお下がりくださいと園児に諭すように繰り返す。余計なおせっかいとも言えるが、こうした表現は日本特有の心づかいと素直に受け止めるべきだろう。今、工業製品だけでなく国内向けと思われていた様々なサービスが海を渡って支持を得ている。私達にとっては日常で気づかなかった「もてなし」の心は、最先端のテクノロジーと同じ価値で迎えられているのは驚きであり、今後の期待でもある。八百万の神に象徴されるように、自然や用具など万物に人格を感じるのは日本人やネイティブインディアンなど数少ないかもしれないが、自分よりも相手を先にと考えるもてなしの心は、世界共通で受け入れられているようである。

 また私達は、同じモノでも好きな人と一緒に買ったとか、大切な人からの贈り物といった思い出が加わると、まったく違う価値に感じる。モノの経済的価値よりその思い出やストーリーが重要なのだ。我が家でも、何度か引っ越しをしその都度処分しようとしながら、子ども達の絵や工作物をなかなか捨てられずにいる。こうした考えは特別なものだけに宿っているわけではない。日頃の消費についても価格や便利さだけでなく、商品が生まれた背景や歴史などストーリーを一緒に買っている。さらに自らストーリーを作ることにも参加している。あこがれ商品や体験を購入して満足するだけでなく、それを家族や友人と共有することで、新しいストーリーに育てていくことを楽しんでいる。また同じ商品でも嫌いな人からは買いたくない、好きな人から買いたい。誰から購入するかも重要である。これからは供給者と利用者の関係もフラットでオープンになるだろう。経済的なもの以外の何かを探す旅は、もう始まっている。