寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

顧客の参加とシェアリング

 先日、主にスーツを扱う会社の方と話をする機会があった。クールビズが浸透しずいぶんビジネスシーンが変わりましたね、影響はどうですかと質問してみた。気にしていたのは需要の減少より、流行が読めず準備するのが難しくなったという事であった。昔は、3つボタンが流行れば年代を超えて広がった。今は、年代毎に流行りが違い、サイズも多様で、既製品では難しくなった。結果、間に合わそうとすると在庫過多に。控えめにすると機会損失に。どこかで聞いたような話である。今取り組んでいるのはイージーオーダー。既製品と比べると高めだが、以前のオーダーに比べると劇的に割安。在庫処分を考えれば、手間がかかってもこちらの方がメリットは大きいらしい。また最近は環境や企業の透明性を問うユーザーが増え、これまでの業界の常識を見直さざるを得なくなっている。バーバリーはブランド保持のため残品を焼却していたのを止めると発表した。材料から製品になるまでのプロセスを積極的に開示する企業も増えている。動物の毛や皮を違う素材に代用する動きもある。国連が提唱する持続可能な開発目標「SDGs」や、環境や人権問題に配慮するESGへの取組は、もう海外や一部企業の話ではない。ユーザーが強く後押ししている。
 

 話は少し横道にずれたが、共通しているのは事業活動にユーザーが参加しているという事だ。オーダーや予約は、ユーザーの事業参加と考えられる。ユーザーは自分の好みや体型を早めに伝えることで、お気に入りを確実に安く入手でき、企業は売上や生産の見込みを立てやすく無駄も省ける。社会も含め三方良しである。また予約は決まった席数や時間を分け合っているという点では、シェアリングと言える。環境負荷や無駄をなくすのにシェアリングは非常に有効な方法である。私達の展示会も、生産予定に予約をつけるという意味ではシェアリングだ。もう一歩進め、ユーザーに予約やオーダーで参加してもらえれば、より大きな成果に繋がる。一方、シェアが進むと商品の必要量が減ることは避けられない。所有から利用に、モノから体験に。市場のあり方や、顧客の価値観が想像以上に変わっているのを見過ごさないようにしたい。

虚構の方がリアルな逆転現象

 ある若いカップルが破局を迎えた。最後にもう一度会って、これで終わりにしようと話した時は、意外にも涙が出ず、そんな自分に少し驚いた。家に帰って、スマホの連絡先や楽しかった画像を消去した時、ああ終わりなんだと、急に悲しみがこみ上げてきたという話を聞いた。やや脚色されているかもしれないが、リアルよりもバーチャルの方が現実らしく感じるという例だ。同じような現象は他でも起きている。カーナビの信頼度は、自分の経験よりも確かだと思っている人の方が多い。大切なお金についても、銀行やカード会社が正しく、私たちは検証すら諦めているのがほとんどだ。これからの時代AIやデジタル化で、仕事も生活も変わると騒いでいるが、バーチャル優先はすでに私たちの生活に、静かに静かに忍び込んでいる。
         

 デジタル化による利便性は享受し幸せになりたいが、一方で人間らしさも失いたくない。人がやってきた多くの事は機械が代行するようになり、人は人じゃないとできない事をやるようになると言われている。もちろん、そうあって欲しいと願うが、先の失恋の話を振り返ると、人に優しく寄り添ってくれるのは、案外機械なのかもしれない。自分に都合よく居心地がいいことを、人は人らしいと錯覚しがちである。現実の人は、そう都合よくないし、時には残酷でもある。これからのデジタルはもっとリアルに溶け込み、差は限りなく無くなる。機械と人は共存できるか、どちらが人らしいかと、意識することもなくなるだろう。


 少し話はずれるが、同じような事で気になることがある。映画やドラマで本当に大切なことを伝えようとすると、異次元なシーンを設定することが多いように思う。当たり前の話なのに、リアルな世界では伝えきれず、逆にリアリティに欠けてしまう。伝えたい時は、宇宙人や、昔の人や、マイノリティや、動物などを登場させ、日常から離すことで話を成立させている。リアルを伝えたい時は異次元で。ここにも逆転現象が起きている。スポーツはゲームと呼ばれるように、最も現実に近い非日常と言える。日常からの適度な距離があるから、たくさんの感動やメッセージを残してくれるのかもしれない。

シンプル&ストレートが強い  

 健康という共通項で躍進している2社が気になっている。一社はライザップ。「結果にコミット」という魔法の言葉を発明し、ボディメイクからゴルフや語学などに事業を拡大すると共に、次々とM&Aを実施。その中には馴染深いスポーツ企業も含まれている。プロの経営者として有名なカルビーの元CEO松本晃さんが経営に加わった事でも注目されている。もう一社はMTG。社名は馴染薄いかもしれないが、クリスティアーノ・ロナウドとコラボしたトレーニングギア「SIXPAD」を知る人は多いだろう。他にもインバウンドにも大人気の美容機器「ReFa」、歌手のマドンナがプロデュースする化粧品「MDNA SKIN」など多くの著明ブランドを持つ。こちらは先日株式上場を果たし、その時価総額はその直前同じ市場に上場したメルカリに次ぐ規模となっている。

 「人生100年時代」を迎え、健康や美へのニーズが背景にあるのは確かだ。が、私が気になっているもう一つの共通項、それはマーケティングだ。どの商品も特徴がシンプルで独創的。初めから世界を狙っている。まずは商品の素晴らしさが前提にあるが、それを著名人とテレビを使い短期間に、徹底的に刷り込みを図った。両社共にテレビ全盛期の王道とも言えるマーケティング手法を選んでいる。メディアの主役が、インフルエンサーやアンバサダーを使ったソーシャルマーケティングに移る中、逆張りで成功している。商品の特性にもよるが、テレビかソーシャルかと一律に判断できるものではない。認知向上が目的である事に変わりはない。ソーシャルは相手に委ねる部分が大きくコントロールしづらい。コストも思った程安くない。テレビは影響度をコントロールできるものの、好意的に受け入れられるかどうかは解らない。しかし圧倒的な投入量は、好き嫌いを超えて認知を促し、テレビ離れを簡単に跳ね除ける力を持つ。好きなタレント・嫌いなタレントの調査があるが、同じ人が両方にランキングされる事が多い。タレントの出川さんは、嫌いなタレントから好きなタレントに大化けした。最も悪いのは知られていない事だ。一気に顧客の頭に侵入するには、やはりシンプル&ストレートが強い。

杓子定規から革新は生まれない(2018年7月)

 4年に一度のイベントに、寝不足の日々を過ごした人は多かっただろう。今回気になったのが「VAR」ビデオ・アシスタント・レフェリーだ。通常はピッチに立つ審判によって判定が下されるが、新たに加わったのがVAR。各スタジアムに設置された33台のカメラから送られる映像をモスクワの通信センターで4人がチームとなりチェック。疑問があるとピッチの主審に無線で連絡する。新時代の審判は、判定を正確なものにするのに役立つ一方で、プレーが中断するなど反対意見も少なくなかった。「最小の介入で最大の効果」をというFIFAのコメントは、導入の苦慮を良く示している。前回のブラジルでもGLTというゴール機械判定技術(ゴールライン・テクノロジー)が導入された。この時はより正確な判定に役立つとすんなり入ったのだが、今回は小骨が喉に引っかかった様な違和感が残る。VARPK判定のハンドで多く使われた。ボールがゴールを割ったかどうかは疑問の余地がない。ハンドも手にあたれば100%反則なら問題はない。故意かそうでないか、見た目ではない要素が加わる所が難しい。もう一つ気になるのは、そうした判断を複数の人で行うことである。多くの人が関わることで精度が上がるのは確かである。しかし複数になるとみんなが無難な判断をしようとする側面も免れない。先日、美少女コンテストのグランプリは活躍しないという新聞記事があった。みんなの投票で決めるグランプリは新規性や意外性が捨てられる。審査員特別賞の方が活躍するというのである。もちろん同列にはできないが、考えさせられる所である。

 飛躍になるが、私達の仕事や日常生活でも行動履歴をトレースできる様になっている。業務の効率をあげたり、生活に必要なものを先回りして提示してくれる便利さの反面、監視されている無気味さもある。車の運転を例にしてみよう。60kmの法定速度を守るのは当たり前。しかし現実は、暗黙の適度なオーバーで車の流れは成り立っている。同じ様な事はたくさんある。世の中は黒白だけではうまく回らない。曖昧なグレーが必要だ。革新の種は、曖昧さに潜んでいる。行き過ぎた見える化と共に、見過ごされる権利が大切になる。

大切なのは、便利より自由である事(2018年6月)

 音楽の再生、天気やニュースの読み上げ、家電や照明のセットを簡単にリモート操作できる、アマゾンの音声アシスタント「エコー」で、夫婦の会話が友人に送られるという事故があった。エコーは、「アレクサ」と呼びかけてアシスタントが始まるのだが、何かの言葉を聞き違えスタート。さらに会話に登場した友人の名前を聞いて、会話を友人に送るよう命令されたと勘違いした。盗聴されたのではなく、アレクサの勘違いが重なって今回の信じられない事故が起きたというのだ。昔、島に住む一人の男の行動がすべてビデオに収められ、彼がどんな人生を送るのかを世界中の人たちが、TVドラマとして楽しむという映画があった。それが架空の話でなく、私生活の全てが誰かに見られている、監視の目は我が家までやって来ているということだ。中国では街中に監視カメラが設置され、顔認証技術を合わせると「寿円さん、赤信号で渡るのは法律違反ですよ」と注意できる所まで来ているとも言われる。欧州委員会20185月に「一般データ保護規則(GDPR)」を施工、EU内のすべての個人データの保護を強化している。IT企業の「データ錬金術」に対する欧州委員会強い懸念が背景にある。

 一度使うと手放せなくなる様々なサービスを、私達は進んで享受している。しかもその多くは無償。冷静に考えれば成り立たない話である。それが続けられるのは何故か。無償で多くの利用者を集め、広告で成り立たせる。データの集合知を使い商品開発やサービス向上に使う。ここまでは理解できる。しかし、サービス利用のための同意書の中に不利な用件が盛り込まれていたり、消されているはずの個人情報が、他のデータと組み合わせることで特定されたり。さらにフェイクニュースや気づかない形で世論が誘導されるのも心配だ。便利さと引き換えに提供する私達の行動情報。うまく使えば予防医療や交通渋滞の解消など、社会資本になる。しかし使い方に寄れば後戻りできないリスクにもなる。メリットとリスクを理解した上で利用するしかなく、是非は一律に決められない。絶妙のバランスやセンスが問われる。束縛されず自由でいるには、「無知」や「思考停止」が最も怖い。

次の時代は次の人たちが作る(2018年5月)

 今年も十数名の新社員を迎えることができた。スポーツは人気業種で弊社でもけっこうな倍率となっている。エントリーシートから始まってSPI試験、グループインタビューや面接などを通過してきた精鋭達である。いつも思うのだが、当時の私が試験を受けたら、確実に落ちる。今の自分でも危ないかもしれない。時代が違うというよりレベルが違う。売り手市場という現在にあっても、今の子たちは入念に準備して臨む。選ぶ方も応募する方も、格段に洗練されている。

 とは言え、こうした精鋭達がその後成長し中軸に育つかとなると別である。ゴルフの練習場でいくら調子が良くても、それは練習場の話でコースとは別物。そんな感覚に近いのかもしれない。言えるのは、想定されたことにはめっぽう強い。またその幅も広い。ある選考者は、意外な質問をしようと練っていたが、すべて良く聞かれる質問としてネットに掲載されているのを見て愕然としたらしい。生まれた時からインターネットがあり、物心ついた時にはスマホがあるデジタルネイティブ世代。また周りへの気遣いを優先する優しさも持ち合わせる。賢く好まれるように演じているだけで、本質はそれぞれ個性豊かな様に思う。

 以前にも触れたことがあるが、スポーツやアーティストといった障壁が低い分野では、10代や20代の若い人達が世界を舞台に活躍している。最近は日本でも起業する若者が増え、同年代の実業家が目立ち始めている。高校生の起業家や20代までを対象にしたファンドも生まれている。基礎となる能力やネットワーク力は高い。組織のヒエラルキーや過去の成功体験という枠が、せっかくの能力を閉じ込めていた。今その呪縛がすごいスピードで溶けている。制約がなければ飛び出してくると信じたい。

 先日北欧の幼児教育を視察してきた知り合いの話を聞く機会があった。日本でも32Xという答えが一つの教え方から、XY5というような複数の答えを導く教え方に変わって来ている。北欧ではさらにXYZ。問題も答えもすべて自分で考える。何も教えず、見守るだけといった教育で成功しているという。それに倣えば「信じて、まかす」ということだろう。理屈ではわかるが、これがまた難しい。

答えも課題も、自分で見つける(2018年4月)

 人工知能が発達する背景には、様々なモノが繋がるようになったこと(IoT)、ネットワークを使って雲のように離れた所にあるソフトウェアやデータを使うサービス(クラウド)が主流になったことが大きい。この二つにより、ビッグデータと呼ばれる大量のデータを迅速に処理することができ、AIは急速に進化した。そんな事をやっと腑に落とせたと思ったら、新たにエッジコンピューティングという言葉が飛び込んできた。クラウドかエッジという二者択一ではなく、それぞれの特性を活かした組み合わせが大切な様である。エッジと呼ばれるように、どこか離れた所にサーバーがあるのでなく、利用者の近くにサーバーを配置する事で、データのやりとりにかかる時間を短くする。センサー等から集まるデーターをリアルタイムに処理するには、クラウド経由では遅すぎる。データ量ではクラウドに強みがあるが、スピードではエッジが強い。より速い判断が望まれる、車の自動運転や工場の安定稼働、顔認証ではエッジが向いている。これまでも「分散」と「集中」を繰り返してきた。今後も得意な機能を分担しながら、分散と集中を繰り返すのだろう。

 分散への移行という点で、もう一つ面白い話がある。これも最近注目されている事であるが、米軍式のマネージメント手法、OODA(ウーダ)だ。おなじみのマネージメント手法にPDCAがある。PDCAはビジネスを合理的かつ効率的に進めるのに役立つ。環境や与件の変化が少ない時は、PDCAは効果的で今なお広く使われている。OODAは、戦場で産まれた機動性に優れたマネージメント手法。市場や顧客ニーズの変化が速い中では、固定的なPDCAより機動的なOODAが向くと言われる。OODAは、Observe(観察)、Orient(状況判断、方向づけ)、Decide(意思決定)、Act(行動)の頭文字。状況が読めず刻々と変化する戦場では、一瞬の判断の遅れが死に繋がる。本部の指示を待っている余裕はないギリギリの状況から産まれた。現在のビジネス環境は安定より変化の時だ。また正解のない時代、答えの前の課題すら定まらない時代でもある。それだけに現場が裁量権を持つ面白い時である。