寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

もう見逃し三振はしない(2017年12月)

 年を重ねると1日は長く1年が短くなると言われるが、本当に時間が経つのが早く感じられる。今年を振り返ると、稀勢の里1月に初優勝し、日本出身としては19年ぶりの横綱に昇進した。横綱になって初めて挑んだ春場所では怪我をおして戦い逆転優勝に輝いた。この活躍で大相撲は大人気に。それが年末の九州場所稀勢の里は進退を問われる立場に。大相撲も貴ノ岩問題で日馬富士が引退するも先行きが見えない。まさに天国と地獄、ジェットコースターのような1年を味わうことになった。トランプ大統領就任、藤井聡太四段の公式戦最多連勝記録、銀座シックスの開店も、ずいぶん前のように感じられるがどれも今年の話。大相撲に限らず、何が起きてもおかしくない「変化の時代」だ。AIIoT、ロボティクスといった言葉も、今年の初めにこれがキーワードになると言われたが、もはや一部の企業や人の話でなく、私たちの毎日の生活に大きく影響する所まで来ている。インターネット普及期に言われたドッグイヤーが、それ以上のスピードで現実社会で起きている。約20年前に起きたネットでの革命がリアルで再現される、その始まりだ。もはや好き嫌いの選択肢はない。20年前に積極的であった企業とそうでなかった企業の差は歴然で、再び試される時を迎えている。もう見逃し三振は許されない。

 コンピュータが人を超える、AIが人の仕事を奪うという議論も、より身近なものになってきた。憶えたての浅い知識で恐縮だが、AIを知るほどその可能性を感じるが、一方で人の能力の凄さにも関心する。AIがある事を実現できるまでには、膨大な時間とコストがかかるが、人はいとも簡単に色んな事をやってのける。人や生物は100万年の歴史を持ち、その間に遺伝子を書き換え続けてきたという背景があるからと言えるが、これから先も人はしたたかにデジタルを乗りこなしていくのだろうと勝手に思っている。AIが自ら考える能力を身につけても、大元は人の考えや振る舞いだ。AIを豊かさに向かわせるのか、危機に向かわせるのかは、私たち次第。それはどこか子育ての話にも通じる。とすると、嫌な所はよく似るのだろうな。皆様、いい年をお迎えください。

規模や効率の裏にチャンス(2017年11月)

 リニア中央新幹線で品川と大阪間が結ばれると、JR山手線を一周するのと同じ時間で移動できるらしい。これまでも東京と地方を結ぶ交通路が生まれ、その度に東京との行き来が便利になり、地方が活性化すると言われてきた。結果はいつも同じ。期待とは逆に東京への集中が進み、地方は疲弊が進んだ。人・物・金が求心力のある方へ吸い取られる現象で、ストロー効果と呼ばれる。「流入しやすい」は「流出しやすい」と同義語なのだ。2020年東京オリパラに向け、スポーツを成長産業にすべく国が先頭になり取り組んでいる。スポーツ業界にとって一大チャンスであることに違いはないが、それ以上に他業界や予想もしなかった所が果実を狙っている。チャンスをものにするには、真の強みを再確認し、高い視点から事業を再定義すると共に、業界を超えて広くコラボすることが求められている。

 一極集中はネットやデジタルでも起きている。ネット社会は、誰もが情報の発信者になれ、多様性に富んだ世界、個性化が進むと言われてきた。こうした側面が進んだことは確かだ。しかしそれ以上に様々な所で情報の寡占化が進んでいる。人間の本質は、これまでと大きく変わっていないのかもしれない。が、デジタル化により見えなかったものが見えるようになったことで、自らの考えよりみんながどう考えるか、冒険するのではなく保守本流に乗る意識が強くなっている。残念ながらそれが今の潮流だ。さらに既存勢力やメディアも、顧客の志向に合わせ安易に動く循環になっている。情報の受け手も発信者も、嘘ではないが全体をカバーしていない目の前のデータを信じ、小さな肯定を続けている内に、いつの間にか逆らえない流れを作ってしまっている。大変危うい気がする。

一方で、「規模の不経済」や「心の会計」など、これまでにないやり方や、新しい価値観が生まれているのも事実だ。「スポーツはなくても生きていけるが、あると人を幸せにする」。繰り返しになるが、これからはスポーツが持つ“ヒューマンな価値”が大切になるはずだ。規模や効率だけでは解決できない時代、スポーツはそんな時代の先頭ランナーになれると思うのは楽観的すぎるだろうか。

顧客に響くのはデータか愛か(2017年10月)

 AGFAという言葉がある。AppleGoogleFacebookAmazonの頭文字を並べたもので、今最も影響力を持つ4社を指す。アップルはiPhone発売10周年を記念したモデルiPhonXを発表し、アマゾンは米高級スーパーのホールフーズ・マーケットを買収するなど、その勢いは増している。特にアマゾンの脅威は身近に感じる。アマゾンは、コンビニと競合する商品からファッションまで両方向に手を広げ、購入できる商品の幅を広げている。さらにスマホの次の主役と言われるスマートスピーカーでも優位にある。スマートスピーカーは、AIと会話し様々な用事を済ませられるツールで、利用者の行動履歴を丸裸にする。ネット情報のインフラを制した企業は、ネットとリアルの区別がなくなる事にいち早く対応し、次の生活インフラでも主役を狙う。その対抗策はないのだろうか。

 規模は違うがヒントになる事例がある。ウェアラブル端末の米ガーミンだ。アップルやサムソンが立ちはだかる市場に風穴を開け3位のシェアを持つ。得意なGPS技術を生かし、スポーツに特化した商品でヒットを重ねてきた。アップルにない独自性がコンセプトで、トライアスロン、マラソン、ゴルフ、フィットネス、サイクリング、登山と広げてきた。成功の要因は、GPS技術、大手が狙わないニッチ市場、愛好家をうならせる高機能、垂直統合体制(開発、設計、生産、販売、サポート)、自社社員などが挙げられる。その中で注目したいのが「人」である。創業者が「ガーミンという会社を愛する社員たちの強い情熱が、結果的に顧客の心を掴んでいる」と語っており、まさにここにAGFA対策のヒントがあると思う。ニッチ戦略は投資の割に市場が小さく非効率であるが、先行し圧倒的地位を築けば成り立つ。市場の小ささは参入障壁となりコモディティ化を防ぐ。社員が会社を愛しており、その情熱が顧客に伝わり、顧客が次の顧客を連れてくる。これが理想だ。AGFAもガーミンも、強さの共通項は顧客をよく知っていること、顧客との距離が近いことである。だが手法は正反対。情熱や愛は規模と関係なく誰でも参加できる、そこにチャンスがあると思う。

顧客が購入する本当の理由(2017年9月)

 車を衝動買いする店があると聞き、行ってみた。その店はトヨタが開発した「トレッサ横浜」というモールにある。トヨタが扱う全車種を2階のフロア全面で展示、1階は広大なメインテナンススペース。トヨタ車に関することは、全てここで大丈夫という安心感がある。子育て世代が多い地区ということもあるのだろう。展示はスタイリッシュというより、生活感を打ち出した内容であった。コンパクト車から、流行のSUV、ファミリー向けワンボックス、シニア向けセダンなど、それぞれのライフステージに合った演出と、今だけのお買い得得感をうまく両立させていた。子供がもう少し大きくなったら、こんな車でキャンプに行き夜空を眺めたい等。こうありたいと思う「家族の未来」を売っている。異次元な空間と的を得た演出が家族を刺激し、いつか買うのだから少し早くてもいい、そんな気持ちにさせるのかもしれない。「未来を体験」する場になっているのは間違いない。

 あるシャンパンの会社は、売れ行きが落ちたため、自分たちの顧客は誰で何を売っているのか、社員で話し合ったらしい。アルコールを売っている。飲料の会社だと、様々な意見が出た。話し合いを重ねる中で、出てきたのが「祝福」というキーワードだった。シャンパンが飲まれる機会は、日本ではまだ限られている。多くは結婚式や記念日などのお祝いの席。なら祝福を盛り上げる飲み物という位置付けで、祝福の機会を増やすことに取り組み、成功したという。

 二つの話は、顧客は商品から得る体験を第一に考えるようになっており、それに合わせ全ての業種はサービス業化することを示している。まずは、自分たちの商品が顧客に支持されている本当の理由は何なのか、これを見直すことが第一歩になる。先行例を挙げると、ある農薬の会社は「単位面積当たりの収穫量」、複合機の会社は「顧客の文書管理」、航空機エンジン会社は「燃費と飛行時間」と、売っているものを再定義し、利用に応じた課金に変えてきている。これをスポーツに置き換えた時、自分たちが本当に売っているものは何か、言い換えればスポーツの顧客が本当に欲しているのは何か、これを見つけた所が次の主役になるのだろう。

自然である事、シンプルである事(2017年8月)

 通勤途中にあるテニスコートからコーチの声が飛び込んできた。「無駄な動きが多い。無駄をなくすことを意識して」。声しか聞こえなかったが、未来の錦織選手を目指す子ども達の練習風景が思い浮かんだ。状況を素早く把み、早く打点に入って、正確に打ち返す。この一連の流れに無駄がないのがいいプレーということだろう。余計な動きは力をロスしたりミスに繋がる。仕事で「同じ結果なら、できるだけ少ない要素(工程)で」と話していたタイミングに重なり、耳に止まった。生産や物流で特に感じるが、大切なのは意識せずに普通に流れる状態を作ることだと思う。この状態が、品質も納期も安定し、コストも安く抑えられる。逆にイレギュラーが加わった時にミスを招きやすい。通常より納期を早くしたい、今回だけはコストを安く、といったバイアスが加わった時が危ない。より強いボールを返そうとか、より端にといった雑念が、無駄な動きになりミスを招く。私の下手なゴルフも含め、何でも同じだなと勝手に納得していた。それにしても意識していることは耳に入りやすい。逆に意識のないものは、気持ちよく通り過ぎると言う事だろう。

 普通に流れているのがいい状態と書いたが、茶道や日本の伝統芸能の所作はどれも無駄がなく美しい。長い歴史の中で洗練され究極の型として確立されている。無駄のない美しい所作は多くのj訓練と経験に裏付けられているのだが、それを感じさせず自然に見える所が凄い。自然な状態は簡単そうに見えて実は最も難しい。同時に「シンプルとは何か」もよく考える。「シンプルに考える」と言われるが、「シンプルになるまで考える」の方が私は腑に落ちる。シンプルに考えるは、部分を端折るイメージがある。シンプルになるまで考えるは、複数の要素を抽出し、それを3つに集約し、さらに1つに収斂させる一連の作業と言える。簡単に答えの出ない苦しい作業だが、解けた時の快感は格別で、この達成感があるから止められない。複雑で整理されていない間は、自分自身も理解できていると言えないし、それを次の人、またその次の人に理解・共感してもらうことは難しい。シンプルになるまで考え、自然な状態(無心)になるまで粘る事が大切だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見えない谷をジャンプする勇気(2017年7月)

 デビューから無敗のまま将棋界の連勝記録を塗り替えた藤井聡太四段。将棋はもちろん、受け答えや食事に到るまで、14歳の最年少棋士の一挙手一投足に日本中が熱狂した。連勝は29でストップしたが前人未到の記録に違いはない。先日、日本将棋連盟のモバイル編集長兼プロデューサーをしている方の話を聞く機会があった。ちょうど棋士代表とコンピュータ代表が戦う電王戦が終わった後であった。佐藤天彦名人がponanzaに2連敗。もはや将棋においてはコンピュータに勝てない所に来ている。将棋は7年前にコンピュータに負け、その時は「プロ棋士が機械に負けるなんて」と世間の風当たりは厳しかったが、7年経った今では負けても騒ぐ人はいなくなったと言う。過去の対戦でコンピュータに勝った棋士4人程。共通しているのは、コンピュータゲームに親しんで来た若い世代である。長く棋界にいるベテランはことごとく敗北した。独自の世界で築いてきた伝統や美学は通用しなかったのだ。藤井四段も小さい頃から将棋ソフトを積極的に活用して力をつけたと言われている。いつの時代も、どの業界でも、変化を積極的に受け入れる人と、変化を潔しとしない人がいるということだろう。難儀なのは、多くの人は自分は柔軟に変化対応しているつもりでいることだ。ズレに気がついた時はすでに手遅れ。しかも変化は想像以上に早い。

 もう一つ、ヤマト運輸がこれまでのサービスを見直すと発表した。サービスに見合う対価を得られない日本型サービスを見直し、値上げと賃上げ、働き方改革を同時に実現するという。他の運送会社は追随するのか、アマゾンはどう対応するのかと興味を持っていた。アマゾンは個人事業者を活用し独自配送網を構築するらしい。まずは東京都心で丸和運輸と組み、軽貨物車1万台、運転手1万人の体制を整える。日本の運輸業界は下請け・孫請け構造になっており、ITを活用すれば元請けなしで直接の契約が可能ということだ。また学生や個人が配送する物流版ウーバーともいえるサービスも生まれつつある。ここでも過去の延長に答えはなく、勇気を持ってジャンプした所に新しいアイデアがある。これを肝に命じておきたいと思う。

論理より感情 優位の時代に(2017年6月)

 KPI(重要業績評価指標)を決めPDCAサイクル(計画・実行・評価・改善)を回そうとか、ゴールを決めて逆算で行動しようとか、こうした事を訳知り顔で話すことが多い。1.全体の状況を俯瞰し、2.課題をもれなくだぶりなく洗い出し、3.影響度順に並べ、4.解決のための策を考え、5.組織に落とし込み、6.進捗を図る。現状とありたい姿のギャップを埋めていく作業とも言える。確かにこの方法はわかりやすいし効果も出る。一度は通過すべき過程である事は間違いない。やりながらもどこか腑に落ちないのは、数値など見える事に注力するため、目指す事がどこも同じになりやすい。しかも収斂が進むと強者の一人勝ちに。効率的過ぎて、感動のないものになってしまうという懸念も残る。もう一つは変化の速さだ。ゴールを決めても、すごい勢いで与件が変わってしまう。何々で世の中の役に立ちたいとか、この課題に取り組むといった、ぼんやりしたスコープだけを持ち、後はやりながら考え、修正を繰り返す方が今風だと思う。与件が変わるのだから、変わらない方がおかしいのだ。目標を決めて最後までやり抜くのも道だが、早く、小さく、数多く手を打つ。失敗するのは当たり前、そこから小さな当たりを見つけ育てる。型どうりでなく柔軟に対応する力が試されている。残念ながら、こうしたものは形式化できず、やって見ないとわからないものがほとんどだ。みんなの合意でとか、稟議制度とは真逆のものである。組織やリーダーには失敗を許容でき、委ねる懐の深さが求められる。起案者には、ありたい姿に向かう強い意志と覚悟が求められる。

 AIが進み、人と機械の役割がどう変わるのかも盛んに議論されている。機械が人の仕事を奪うのか、それとも機械は眼鏡のように人の能力を補完するのかといった話だ。理由のあるものは、AIの方が圧倒的に優位だが、理由のないものや筋道がわからないものは、人の方が向いている。ムダと思われるものや合理的でないもの、その辺りに人の優位性がありそうである。先日「GINZA SIX」に開いた「銀座蔦屋書店」のオープンで、増田宗昭社長が「これからはアート。アートを大衆化したい」と語っていたのは印象的である。