寿円佳宏 wonderland

スポーツ業界紙「スポーツフロンティア」に掲載しているコラムをブログで紹介。

スポーツとオリンピック

 何が起きてもおかしくない、不確実な時代である。1年遅れの2020東京オリパラも開幕までひと月を切った。原稿を書いている現時点での世論は、70%が中止か延期が望ましいとの声。実業界からも開催反対の意見が飛び出す。IOC組織委員会は、仮に非常事態宣言下にあっても、安心・安全を守る運営ができると意思は固い。中途半端な説明のせいで「お金や、組織の維持が優先しているのでは」といった憶測がまかり通ってしまう。忖度で物事を決める悪しき日本が、こんな所に出てしまうのは残念である。納得いくきちんとした説明があれば、応援したいという国民も多いはずである。開催するのであれば、不確実な状況にあっても、科学的なエビデンスを基にリスクを最小化し、今回の試みが今後起きる様々な意思決定の良き雛形になることを願いたい。


 スポーツはこれまでも社会課題を解決するショーケースの役割を果たしてきた。特に組織やモチベーションについては、スポーツが先行事例になることが多い。近い所では先のラグビーワールドカップがそうだ。自国開催で念願のベスト8入りを果たした。国籍を超え多様な人が集まり、それぞれの持ち味を生かし、「one team」に結集したことが勝因と言える。これからの時代に必要なダイバーシティーとインクルージョンの大切さを示してくれた。自分たちと強豪チームの違いを、デジタルを使い科学的に分析。さらに様々な状況を想定した複数のプランを準備して臨んだ。こうした考えやプロセスは、企業にとっても個人にとっても、これからの時代を生きる大きな指標になるはずである。


 またコロナは、元々5年先に起きそうなことを、一気に早送りしたというのが実感である。五輪も例外ではない。2024年パリと2028年ロスを開催都市に同時決定したのがその現れだ。年々膨らむ予算に開催を希望する都市は減っていた。そんな矢先に起きたコロナ、しかもこうしたリスクが今回限りという保証はない。アマチュアリズムに固執し財政難に陥っていた五輪に、商業主義を取り入れ黒字転換した1984年のロサンゼルス五輪から40年弱、商業五輪は賞味期限を終え次の転換点を迎えている。東京は、コンパクトで環境負荷の少ない、多様性に富んだオリパラを目指していたはずである。不確実な中での開催であるが、日本が世界に先駆け、次世代の見本を作る絶好の機会でもある。一縷の望みを託したい。


 最後に五輪が持ついい所にも触れておこう。私は幸運にも、野球関係で1992年のバルセロナから2008年の北京まで5回の五輪に関わった。私が味わった各地での素晴らしい体験を、今回は地元東京でより多くの人に味わって欲しかった。五輪は最高レベルのアスリートが集い、最高のパフォーマンスを競う。その感動やドラマを擬似体験できるのは、理屈抜きに素晴らしいことである。今回は海外からの渡航が制限され叶わないが、本来は海外から多くの人が訪れ、スポーツだけでなく様々な交流を通じ、日本という国の文化や風習を知ってもらう機会となるはずであった。スポーツという共通の興味は、言葉の壁を低くし、簡単に仲良くなれる。リアルでの体験は制限されたが、注目度は変わらない。今回はデジタルを最大活用し、あらゆる業種の人たちが、この機会を生かし世界の人とコミュニケートする努力をすべきだと思う。飾る必要はない。等身大で普段の自分たちを紹介すればいい。約1カ月間、世界の目が日本に向くのである。五輪は様々なレガシーを残すが、日本への真の理解が深まるのが最大のレガシーだと思う。


刺繍業界の技術・情報総合誌「エイト」2021年夏号 掲載より

ウイズ・コロナの覚悟

 アウディがブランドの象徴である4つの輪の重なりをなくし、フォルクスワーゲンVWを離し、マクドナルドも”m”の山を横にずらすなど、3社は人と人との距離を保つソーシャル・ディスタンスを、誰の目にも見える形で訴えた。製品やサービスの紹介でなく、最も大切なメッセージをロゴに乗せて伝えるやり方は見事。それを見て「IOCも五輪のマークを離さないとね」なんて軽口を叩いていたのが、恥ずかしい限り。まったく能天気であった。「ピンチをチャンスに」なんて言葉も薄っぺらに感じるほど事は重大で、異次元の変革を迫られている。

 ワクチンや治療薬がない中でやれるのは、密閉、密集、密接の「3密」を避ける。先の3社をはじめ世界のメッセージである。だが、人類が地球で生存競争に勝ち残り、繁栄してきたのは、3密のお陰とも言える。極端に言えば、密は人類の発明である。一人では外敵に立ち向かえないのを、集団で密な関係を築く事でここまで来た。人は集団の生き物なのだ、それが分断されている。専門家はコロナとの戦いは長くなるという。ある人は「アフター・コロナ」でなく「ウイズ・コロナ」、共に生きていく事を考えるべきとも。人は都市に集中して住み、効率を追求する事で発展してきた。今、超高層マンションやリニアなど、人類の幸せと信じてきた先端技術が、最もリスクという矛盾に直面している。人は動かないがモノは動く、人と人は接触しないが、触れ合いを無くさない。難問中の難問だが、この二律背反を解く事を求められている。

 私たちが携わるスポーツの魅力は、デジタル化が進む中で人と人がリアルに触れ合う身体体験。「今だけ、ここだけ」コピーできない希少価値を体験できる所にある。この価値を残しながら、接触を避けるには何ができるか。私の頭では、eスポーツが大きな流れになるくらいしか思いつかないが、自然や綺麗な空気(分散)、身体を動かす喜び、誰かと共にする時間、自由の尊さ、この辺りに糸口がありそうである。距離を保ちながら密な関係を築くヒントをスポーツで見せる事ができれば、それが雛形になり社会全体に広がる。この難問に取り組む事が、さらなるスポーツの価値向上につながると信じたい

情報の波を乗りこなす力

 すべての国、すべての人の恐怖になったコロナウイルス。感染による人命の危機はもちろん、人やモノの動きが止まる社会へのインパクトは想像を絶する。世界の近さと、世界の広さを再認識する事になった。心配された東京オリパラも1年延期でとりあえず落ち着いた。

 今回別の意味で気になった点に触れたい。「情報」についてである。連日、政府、メディア、SNS、日常会話と、至る所で様々な人から、オフィシャル、私的見解、又聞きとして、多くの情報が伝わってくる。初めてのウイルスなので、私達には身体的にも知識的にも備えがない。情報は欲しいが、何が正しく、何が間違いなのか判断が難しい。それでもマスクが有効か、病院へ行くか、通勤電車は、会社は、学校は、イベントは、と選択を迫られる。先に症状が出た中国や韓国、過去の事例をヒントに、試行錯誤しながら正解に近づくしかないのだろう。私たちにできるのは、目の前の一面的な情報に振り回されるのでなく、常に多面的にチェックし、咀嚼する事だと思う。

 先日、国際的な学力調査PISAの発表があった。世界72カ国、54万人の中高生が参加。3年に一度「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」の習熟度を調査している。昨年末に直近の結果が発表された。日本は、数学的リテラシー6位、科学的リテラシー5位であったが、読解力は前回の8位から15位と大きく下げた。その要因は何か。調査にコンピューターが導入され、設問を一つづつクリアしないと次に進めない設計が、一つとも言われている。が、大きいのは次かと考えられる。日本の学生が優れているのは、情報が正しいことを前提に意味を理解する力。PISAでは、清濁混ざった多様な情報から選別するのも読解力と位置づけている。これが順位を下げた。アメリカを見本に追いつき追い越せの高度成長期が象徴する様に、明確な目標に一丸となって向かうのは日本のお家芸。不透明な中から課題を見つけ咀嚼する力が弱い。まさに今求められているのはこの力。これはコロナだけでなく全てに通じる話である。これからも予期せぬ出来事が、起きる可能性は高い。それを前提に普段から多面的に考え、咀嚼する習慣をつけたいものである。

成長の共通項は「ピボット」

 休日は、いつもよりゆっくり新聞に目を通す。そんなある日、今日は「元気な企業特集」と錯覚するほど、連続して成長企業の記事を目にすることがあった。記事はいつもと変わりないが、私が「そう読みたい」と思ったのかもしれない。目に付いたのは、富士フイルムHDアイリスオーヤマ、学研HD。共通するのは「ピボット」している事。ピボットとは英語で回転軸。ビジネスでは企業経営の方向転換、路線変更を意味する。

 まず富士フイルム。ご承知の通り、カメラのデジタル化で存続の危機に。シェアを分け合ったコダックは破綻。富士フイルムは事業の多角化を成功させる。最も期待するのがヘルスケア。次々買収を進め、直近では日立製作所から医療機器事業を買収する。またドキュメントでも、一旦は親会社のゼロックス買収に動くが、買収先株主の反対に会い方向転換。逆にゼロックスから独立することを決断。手を休めない施策、当事者はジェットコースターに乗っている気分だろう。

 次にアイリスオーヤマ。広く知られる様になったのは収納ボックス。その後ガーデニング用品、ペット用品、お米、LED、そして最近は家電と、次々とヒットを飛ばしている。アイリスオーヤマが面白いのは販路戦略。最初に開拓したホームセンター、そこに集まる顧客が必要とする商品を、高いコスパで提供してきた。生産背景を軸にする多角化は多いが、販路から多角化する例は珍しい。その日の記事は、65型で4Kチューナー内蔵のテレビを12万円代で発売するという。低迷する家電メーカーを尻目に、ダイソン並みに家電を輝かせている。

 もう一つは学研。富士フイルム同様、教育出版界の盟主であったが、少子化に直面。強化しているのは介護事業。サービス付き高齢者住宅をはじめ、認知症高齢者向けグループホームを手がける。成長が見込め、教育事業で培った資産を活かせる市場に、巧みにシフトしている。いずれも祖業は大切にしながらも、それだけにこだわらない。自らの強みを活かしシナジーを最大化する。小さな市場で努力するのでなく、より大きな市場に乗り換える。そうした施策を組み合わせ、無謀とも思える挑戦を、「勝てる戦い」に変えている所が凄い。

だけじゃないアップル体験

 AUとアップルで、興味深い体験をした。娘はアップルの新機種購入、私と家内はキャリアの切替に、お正月の街に出た。まずは電話番号を引き継ぐMNPを取るために電話。要件を説明し、解約にかかる費用を聞く。説明では、MNP3,300円、1ヶ月分の料金7,000円、それに二年縛りの解約金が10,450円、2台分で計41,500円になるという。解せなかったのが解約金。法律が変わり、解約金はないと理解していた。私の契約しているプランは解約金が必要という。合点が行かず近くのAUショップを訪問。事情を説明すると、新プランに変更すれば1,000円で解約できると勧められる。さらに意図を察し、SIMの解除もしてくれた。親切な対応にAUのイメージも好転。解約金がないと思い込んでいたが、正確には1,000円が必要。オペレーターは、解約金は必要と返答。確かに間違いではない。余計な事は言わず、忠実に自分の仕事をこなす。近い将来、機械と人の差は、こういう事かもしれないと感じた。

 

 その後アップルストアに向かうと、初売りで長蛇の列。案内の人に購入ですかと聞かれ、クーポン使わないならネットで購入し、受取りをストアにすれば、待たずに案内できますとの事。ネットで注文し、近くの店舗をブラブラしていると1間もたたず、引渡し可能のメール。店舗でメールを見せ、長蛇の列を横目に商品を受け取る。設定サポートするなら2階にと案内される。対面でなく、大きなテーブルを囲み、スタッフが横でサポート。設定とは関係ない世間話や、これでどんな事ができるか、友達同士の様な会話の中で、進められる。娘が写真教室に通っていると知ると、新しいカメラだとこんな写真が撮れる、凄いでしょうと力説してくれる。隣では初めてのスマホを手にした中学生が、人気アニメの声優の話で盛り上がっていた。また新機種を手に入れた人を、拍手で祝福する歓声がフロアのあちこちで起きていた。商品を渡すというより、「アップルファミリーへようこそ」という雰囲気。AUとアップルでの二つの体験。情報格差を利用したモデルから抜け出せない日本企業と、体験価値を最大化しようとするGAFA。その差を痛感する一日であった。これから主流になるネットと店舗の融合OMOOnline Merges with Offline)の一端を知る機会にもなった。


過剰を捨てるとうまくいく

 南太平洋の島ツバルなど島嶼国では、耕作地から海水が沸き出し作物が育たない。一方大陸では様々な所で砂漠化が進み、温暖化対策は待ったなしに迫っている。先のCOP25では、会期を2日延長して合意形成が試みられたが、玉虫色の曖昧なものになった。アメリカがパリ協定から離脱し、中国やインドも消極的。原発問題を抱える日本も立ち位置が定まらず、「化石賞」という不名誉な賞を2年連続で受賞する事になった。身近な魚が獲れなくなったり、台風や度重なる豪雨から異常を感じているが、旅先でその深刻さを実感することになった。


 長期の休みをもらい訪れた街の一つがベニス。水害のニュースは聞いており、ある程度覚悟はしていた。到着した夜は気配がなかったが、翌朝になるとホテルのテラスが薄く水を張った状態に。これくらいならと散策に出かけたが、しばらくすると至る所で道が水没。深い所はひざ下まであり、すり足で歩く状態。観光の中心サン・マルコ広場は完全に水没していた。それでもお店は普通に開いており、店員さんは長靴姿で何事もないかのように仕事をし、お客さんも水に浸かりながら飲食を楽しんでいた。特別でなくこれが普通。そんな光景に驚かされた。また水が満ちてくると、様々な店が一斉に簡易な長靴を軒先に吊るし、商売を始める。さすが商都ベニスの商人である。私たち観光客は、それを靴の上から履き、通りすがりの非日常を経験する。「沈む前に来て良かったね」、が本当にならないことを祈りたい。

 

 便利さや快適さを追及するあまり、起きている様々な過剰。人間のエゴが温暖化の要因であることは間違いない。欧州は環境に対する意識が高く、最近はどこも「サスティナビリティ」を最優先に打ち出している。日本も若い人たちの意識は高い。環境に真剣なブランドを支持したり、自らも持ち物を減らし、シェアやリユースにも積極的である。人口減や高齢化で経済が減速しているが、過剰を良しとしない価値観が、もう一つの大きな減速要因だと思う。流通の過剰、家庭の過剰が消えているのだ。本来のあるべき姿に戻っているともいえる。令和最初のお正月、成功体験を捨て、新しい価値観に切り替えるいい機会にしたいものである。

ブランドは瞬間解凍する記号

 市場が縮小する中で、ブランドの大切さを見直す機会が増えている。この場で「ブランドとは」といった話はできないが、気になっている事に少し触れてみたい。

   身近な所で言えば、忙しくても親身に相談に乗ってくれる頼り甲斐のある〇〇さん、いい事は言うけど実行が伴わない△△さん。こんな感じで、人はそれぞれ自分のフィルターを通して周りの印象、大げさに言えばその人の人格=ブランド感を決めている。それは〇〇さんや、△△さんの一部であるが、全てではない。受け手が都合よく切り取った断片である。怖いのは、その断片が間違った思い込みであっても、その人になってしまう事である。

 企業に置き換えてみよう。企業は、自分たちのブランドや商品の思いを伝えたいと、あの手この手を使って努力している。しっかり伝えれば届くかと言うと、そう簡単ではない。届くには、大きく二つのステップがある。「認知」と「好意度(嫌悪度)」だ。まず知ってもらわないと始まらない。知られていないのは嫌いよりも重症、世の中に存在しない事になる。だから企業は熱心にPRや広告を行う。伝わるために重要なのが、受け手がその企業に持つ好意度(嫌悪度)だ。それは、広告だけでなく、商品の使用感や売り場での体験、世間の評判、こうしたものが蓄積されて生まれる。好き嫌いは企業からは手出しできない、相手に委ねるしかない。それが難しい。認知とプラスイメージが重なると、期待する行動につながる可能性が高い。認知されても、蓄積がマイナスだと次に繋がらない。逆に負の伝播すら起こりかねない。昔こんなことがあった。売上至上主義に見られた大型スーパーと、有数のグローバル家電で、同じようなスキャンダルがあった。その時の風潮は、前者は「やっぱり」、後者は「間違いじゃないの」、そんな反応であった。同じ事でも、蓄積されたイメージで反応は大きく変わる。

 多くの企業は、統一した表現基準を設け、イメージがブレないよう努めている。これは一つの対策だが、大切なのは顧客と出会うあらゆる機会で「らしく」振る舞う事だ。その小さな積み重ねが、顧客の中で好意的なストーリーに結ばれるのが望ましい。ブランドは、それを瞬間解凍してくれる記号だ。